人と比べるのが無意味な理由

人と自分を比べるのが無意味に思えてくる.加齢による.若い頃は,比べてみても自分の成長のエネルギーにしたりできた.集団内の人で比べて自分の立ち位置を把握したりできた.それは,若いうちは皆それほど異ならないからだ.学校生活だけで個性が尖ってくることはあまりない.皆同じようだから,些細な違いが目立つ面はあるし,それゆえ出る杭を打たされたり,嫉妬されたり,同調圧力が効いたりする.

しかし,大人も40代を超えてくると,会う人が皆異なってくる.キャリアやプライベートも資産も価値観も世界も容姿も健康も経験も,同じ人がまずいない.これは老いを重ねるとさらに異なってくる.無限に異なっていると言っていい.そんな大人社会を歩んでいると,若い時のように人と比べることがほとんど無意味に思える.というか,異なることを楽しめる.もっと異なろうと思える.比べることが何も苦しくなくなる.

人と比べるな,と最近の教育現場では教えるそうだが,比べて辛くなるからだろうか.些細な違いだからだろうか.大人の社会では,違いが大幅で決定的なので,違いすぎる事実を前にして,辛くはならない.そこには尊敬や興味関心や憧れ,はたまた嫌悪や軽蔑もあるだろう.また,比べて同じになりたい普通になりたいと思うのもナンセンスだ.そんなの不可能だから.ある人と同じ人生経験を積めるはずがないのだ.

人の世界は人ぞれぞれで,皆無限に違う.ただ違うことを体験して学ぶ.そこに辛さや苦しさはない.楽しいばかりだ.違いを楽しめるようになれば,大人に成長した証である.同じ人はいない,これは聖書にもあるとおりで,キリストのからだの各部分から教会は成り立ち,クリスチャンでもそれぞれ別の賜物を与えられているから,同じである必要がないのだ.皆それぞれ違う人の集合体が組織である.多様性ってそういうことだと思う.

本日の積読

「幸福論 第一部」ヒルティ著

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