ビジネスでも日常会話でも,本音を好む傾向がみられる.私の観察によれば,若者はそうでもなく,50代60代の人たちによくみられる.私はこのコミュニケーション傾向を好まない.もっと自分を知ってほしい,との要求からくるのであろう.でも,自分を知る人なんて自分ひとりいれば充分ではないか.人に自分をもっとよく知ってほしいといえども,その人は自分の望むとおりに自分を理解してくれるものだろうか.否である.
忖度という文化が叩かれ嫌われる風潮があった.言葉にしないとわからない,という意味だろう.それはそうである.ビジネスでも,指示は具体的に言われないと,勝手に考えて判断し,期待された行動としばしば異なってしまう.もし命令やそれに類する業務上の指示の場合,忖度は期待されない.具体的直接的に述べないとならない.しかし,日常会話でそうする必要が果たしてあるかといえば,考えこむだろう.
傷つけないよう,ストレスを与えないよう,配慮するからこそ,忖度するのである.自分を守るためである.本音は時に気分を害する.気分なので,3日くらい経てば忘れてしまうものだが,言葉の記憶は残っていて,印象が悪いままになることがある.昔の人は以心伝心が可能だった.今は内容が複雑になっているので,忖度で収めることはよくないとみられている.ストレスが多いのも,忖度が許されないからであるだろう.
私はただ静かに生きたいのだが,人のことを理解する余裕がないのかもしれない.自分の心と身体のメンテナンスを重視している.昔から,本音を好む人とは疎遠にしてきたためか,ストレスを避けることが重要だという考えに至った.人を知り,対するには,忖度で充分なのだ.人に知ってほしい自分を出しても,知りたい人が果たして何人いるか.静かに生きる,これは現代を生き抜く大切な態度だと私は考えている.
本日の積読
「心の安定について」セネカ著