序文

わたしがなぜこのような大袈裟な主題で書いていこうと思ったかといえば、信仰生活の困難な不可能性のゆえに、教会を回避し、礼拝を諦めたからである。その理由は、信仰生活によって社会生活が困難になる一方だったためである。信仰生活それ自体は良いものであったし、それは幸せなものではあった。わたし自身を矮さく虚しくし、喪い続けて何の思いも持たなかった。しかし、わたしはキリスト信仰を特に持たない人を理解することが困難になり続けていた。教会で会う人々との社会であれば、わたしは今でも教会で礼拝をすすんで捧げる者であったろう。だが、社会の動き、政治、報道、著作、両親その他周囲の人々について、理解が不可能になっていくさまを、わたしの心の中に認めていた。教会の信仰の中に閉じていいのだろうか。社会に対し、無理解をもって、信仰を盾に批判的に闘うように生きていいのか。わたしは3年以上はこの問題で自分と格闘した。

結局、わたしは教会のほうを去ることにした。わたしはキリスト信仰を真の意味では理解も持ってもいなかったのである。わたしは信仰者として過ごしていたつもりだったが、信仰の本質を理解することが10年経ってもできなかった。この判断は、わたしの命の瞬断の出来事を経験しての緊急的判断だった。要するに、信仰と社会との折り合いで、疲弊してしまったのである。

この考えは、同じように思う信仰者も万に一いるのかもしれない、と思うので、ここに公開するものである。だが、多くに読まれるものではないと信じている。というのも、わたし自身、この文章が、信仰のために供されるような内容を持たないであろう、と予想するからである。むしろ、信仰の魔断を誘うものにならないか、今から心配も抱く。しかし、それは杞憂だと判断した。わたしは礼拝を回避しているとはいえ、神の存在やイエスをキリストと思う信仰は、当然のように確定している。わたしは信仰の本質は失っていない。しかし、その信仰の実質は、これから変わらなくては、わたしは生きていけない。ここで為されることは、わたしの素朴なのであろう信仰に、さまざまな風味を加え、按配を整えていくようなものであろう。わたしの信仰の形成に役を買うだけのものであろう。何を加えるかについては、わたし自身の心ですでに決まっている。日本人とは何なのか、ということである。

わたしは無宗教の家に生まれ育ち、青春の絶望期にキリスト教に出会うも、結婚前後まで教会を訪れることもしなかった。そして、つい先日までの10年を、礼拝ほぼ無欠席で過ごしたが、人生の跳躍が激しく、時間的空白に耐えきれなくなった。その意味の源泉を、もはや聖書ではなくて、わたしの受けた教育、育った環境、生きている社会に求めるしかないと悟った。ある皮肉な意味で、わたしは聖書の世界に居すぎた。わたし自身やわたしの環境に興味を失い、現在を忘れ果てた。その結果が、わたし自身の喪失であり、記憶や意味の探究となった。すなわち、わたしの人生が連続した一貫したものとなったら、本論は全て完結するであろう。

わたしはやはり考えて生きてしまう。ある秩序を常に意識して生きなくては、幸福も安定も得られない。これはわたしが育ちで獲得した性質であるだけでなく、生来のものであろう。いずれ教会の礼拝に戻れる時が来ることに、期待を念じている。

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