全員に深く刺さるものを作りたいと思ったことはあるでしょうか.そう考えて作ったことのある人なら,それが相当難しいと思われたことと思います.それもそうで,この多様に選ぶための情報がある時代,全員が使っているものを探し当てるのは困難です.おそらく,そんなものはないでしょう.あなたがこれを見ているスマホでさえ,アイフォンとアンドロイドで8割以上分かれていますし,あなたはこれをスマホで見ていないかもしれません.全員が同じように見るとも,同じように使うとも,限らないのです.
とすれば,全員に向けて作られたものが,全員になんてとても刺さらない理由はわかると思います.そこで,限る必要が出てきます.全員に向けて作らなくてはならないとしても,内容やテーマ,機能や形態,範囲や販路を,限る必要は出てくるでしょう.つまり,何を作ろうとしても,何かを限らなくては,そこに存在させることが,人にはできないのです.
しかし,例え限ったとしても,限った意図どおりに刺さるものでもありません.人が何をどのように感じるか,あらかじめわかるものでもありません.自分を顧みれば,何にどのように感動するか,自分でさえ,わからないのです.ですから,限る目的は,感動させるためというよりも,まず存在させるために限るのだ,ということがわかります.
人が存在を認知するのは,そこに限られてあるからです.無限のものを人は認識できませんし,無尽蔵なものは誰も認知しようとしません.つまり,限ることで,あるいは,限られているほど,認知しやすい存在である,といえます.期間限定と書いてある商品は,店頭に並ぶ商品の中で最も目立つでしょう.くっきりはっきりした色や姿は,ぼやけてのびたものよりも,印象に残りやすいでしょう.このように,制限をきつくかけることで,存在は際立つのです.
よく言われることですが,思いを具体的に書くのと,思いを控えて自由に考えられるように書くのと,どちらが受けるでしょうか.おそらく,それは経験によると思います.まだはっきり表せないが,鮮烈な質を伴った感覚がある場合,思いが具体的に表れていると,まるで自分がそこにあったことを初めて見つけたかのように,それを強烈に認知し,記憶するでしょう.しかし,そのような感覚を経験していない人には,何のことか伝わりにくいでしょう.逆に,経験の量が多い人たちが,昔よく親しんだ内容を想起させる名前が連なっているのに出会うと,それぞれが体験した情景がありありと思い浮かび,認知する人が増えるほど,孤立しがちだった経験に共通する部分が見つかり,より深く認識するようになるでしょう.しかし,経験が少ない人には,何を語っているのか,具体的にはよく理解できないでしょう.これらの関係は,若者の詞や表現と,演歌や演芸の語りとを対照すればわかりやすいでしょう.
このように,何を限って,何を限りなくするかによって,何が限られないように感じ,何が限られたように思われるかが,ある程度,設計誘導・方向づけ・交通整理できるのです.なので,特定の経験を持つ,あるいは持たない人に向けて限るのが,限る戦略として有効です.自分の理由から限るのでは,限っている理由が人には見えないものですが,わたしに向けて限っていると思わせれば,わたしのために存在してくれていると思うのですから,身近な存在に感じることでしょう.
このように,限ったり断ったり,条件をつけたり制限したりするとき,限った理由や目的がわかりやすいと,限られた人は容易に去りますし,限られないと感じた人は次々に近づくものです.少しでも集まれば,注目も集まりますから,まもなく人だかりができるでしょう.ここからが知恵の見せ所です.手持ちがいくつもあるのなら,限り方を何通りも用意して,それぞれの種類の人にとって限られないことをわかってもらうこともできるでしょうし,具体的供与と抽象性の自由との良いバランスを探って品物を用意することもできましょう.前者は多彩なバリエーション,後者は普遍的な名品となって認知されます.あるいは,人は誰でも経験を積んでいくのですから,経験豊かな人に向け限って生み出したものは,名作として後世まで語り伝えられるでしょう.
以上のことから,やはり限りに限るところから,全員に受ける普遍的なブランドは成長確立していくのだと思います.