21世紀に入り、特に海外の皆さんは、日本がなぜ経済的衰退を経験しても何も言わず、文化的精神的にびくともしないか、やや訝しむ人もおられると思います。20世紀末期に「世界一としての日本」という名誉ある地位を付与された後でとった進路が、むしろ針の穴を通るが如き「針路」を選択していたことの理由について、わたしの観測する限りでは、特に欧米の経済学研究者の間で、誰も説明に成功した人はいませんでした。わたしはこの30年近くなる経済現象に、ある一つの単語を当てるのが妥当だと思います。「譲る yield」です。
イールドとは、欧米圏では「産出」を意味する単語ですので、わたしの見解によれば、英語圏に「譲る」という動詞はないし、概念すら曖昧であるとここでは述べます。なぜかといえば、日本人にとってはほぼ自明なのですが、欧米圏の特に理工学研究開発の現場において、資源環境問題の解決策を考える時に、科学技術のさらなる推進によって解決を図る発想が基盤にあるように思いますが、日本人の発想はもっと単純です。使わない、です。我々だけでも使わなければ、その分、他国や未来やヒト以外に資源を譲れるからです。このような態度・役割・責任が、世界一としての日本がとった進路であるのです。
もちろん、資源を譲るのですから、物理的生産活動は量的に萎縮します。自ずと、経済活動の規模も上限を見るどころか、単に定常的となり、生活必需品を除いては需要が尽く減っていったために、過度に便利にならず、無駄も抑制し、逆に生きる知恵を生み出し育むことに没頭しています。さらに、もっとも大切なことなのですが、世界にこの譲る文化をあえて主張しないこと、それ自体が譲ることなので、世界的な会議や議論の場でも、日本の首長たちは、おそらく黙ってにこやかに、意見を言わず聞きに聞いて、各国の主張する夢や目標を、日本の資源を譲ることで、叶えてやりたい、と静かに告げていたのではないかと思います。
さすがに、この譲る文化を見兼ねたのか、欧米圏にとらわれない生活圏の人物を中心に、控えめに称える国も現れていました。例えば、ワンガリ・マータイ氏は「勿体無い」という日本に古くから存在する、浸透しきった単語を、自国や大陸環境において実践することを掲げて活動し、欧米圏に評価されました。彼女の受賞時も、日本では注目してくれた喜びと、私たち日本人はますます資源の無駄をあらかじめ考えてから使用価値を判断しなくてはならない、と生活を戒めました。要するに、彼女の受賞を純粋に歓迎するどころか、彼女のくれた新しい視点に学び、国際的になっていくだろう生活の知恵として取り入れたのです。
譲る文化は、学芸の広い分野に見られました。サッカーや柔道などのスポーツ、大量で即時的な交通を可能にする整列整流文化、日本で独特の使い方を見せているSNSの空気感覚。本稿では、科学研究における譲る文化について書きます。若い世代の間で、大学院進学を控えて就職したり、そもそも大学院に進まず就職する優秀な若者が多くいました。単に学費や生活費といった経済的な面が大きい場合は、特に数学・情報科学・哲学・文学・創作の場合には、彼彼女らは、文献の購入費を抑制しつつ、仕事終わりに匿名でWEBにおいて、研究成果や作品活動を公開してきました。日本文化にとって、これらの無料の成果が果たした役割は小さくありません。では、なぜ大学に残り世界的な成果をあげられるにも関わらず、給与を投げうち、一人や仲間で、余暇を使って、しかも匿名無償で公表する研究様式を採ってきたのでしょう。
賢明な人ならお分かりと思いますが、ここにも、譲る、という思想はあります。国内においてみても、仮に自分が大学に残り役職を受けて研究を推進するとしても、国際的に成果を挙げてしまっては、他国の科学技術をさらに推進してしまいかねない。日本の大学には優れた研究者が多く在籍していることは、若い世代もすぐに理解していたので、自分が肩書きを得てしまうと優れた先達の役割を奪いかねない。研究には時間も労力もお金の多少もかかることは自明の理であるため、配偶者や子供、友人仲間との生活、つまり人生資源を現在に集中投下してしまいかねない。要するに、地球環境、未来世代、将来資源をあらかじめ予期した上で、自らの研究者人生の様形式を決定していったのです。
この背景には、譲れる余裕があったのです。生活に必要な品物は、元々安くふんだんに流通していたので、特に増やす必要も新たに発明する必要性も薄い国柄なのですが、新製品の開発において重要とされてきたのが、多様化です。要するに、全く新しい概念の実装によって、既存の秩序を破壊してしまうのでなく、既存の秩序の要素の一部分を、多くの人の生活に適合してもらえるように、要素自体の性質をひたすら多様化していったのです。それは性能や設計上の意匠にとどまらず、製造工程、流通量や販路、さらには製造企業間の情報販売関係にも及んでいました。要するに、部分的全体抑制の旗印のもと、多様化をただひたすら推し進めたのです。
その結果、日本の経済は上昇こそしませんでしたが、日本人は自分の生活に取り入れられる製品が多く発売されることで、自分の生活計画も多様化することができ、物質的な満足は高まるばかりでした。この「物質的満足度」はおそらく日本が世界でもっとも高い値を出す指標なのではないかと思います。また、経済的節制の点からも、限られた給与の中でいかに楽しさを最大化するかという思想が若い世代には当然の空気のように根付き、特にインターネット(部録・動画・SNS)、音楽(ライブ・アイドル・配信)、三文化(漫画・アニメ・ゲーム)をはじめとして、多くの若者が、視聴するだけでなく自ら生み出すことを志向し、それを実行実現していったのです。お気づきのように、これらの文化には物質的資源の利用は少なくて済みます。
このように、21世紀の日本が採用していた進路は、まさに欧米圏が志向し続けた、経済成長や覇権や顕在権力の最大化、ではなく、むしろ、持ち物を整理し、生活のあらゆる資源を最小化し、その分を、必要とする他国に静かに譲り渡す、という明確な思想だったのです。この「譲る」という発想は、21世紀前半の日本を形作った主要な概念として、今後世界で語り継がれていくことと思います。というのも、yield に新しい意味として加えられてほしい概念であるからです。なぜなら、産出し生産するには、地球が人類に譲らなくては、人間は資源を活用すらできないからです。すなわち、人類は地球に譲られていたことを、もう少し広くとらえることに資する概念であろうからです。